日本の世界遺産は現在(2023年6月時点)25件登録されています。
そのうちの一つが原爆ドームです。原爆ドームが世界遺産に登録されたのは1996年で、日本では7番目の登録になります。(「日本の世界遺産一覧/文化庁」ホームページより)
原爆ドームは平和記念公園の中にあり、その公園の中には「平和記念資料館」「平和の鐘」「平和の灯火」「原爆の子の像(千羽鶴の塔)」「原爆死没者慰霊碑」などがあり、まさに平和の大切さを物語る公園です。
広さは12.21ヘクタール(0.1221k㎡)(広島市公式ホームページより)で、1辺が350mの正方形と同じぐらいの広さです。
今回は、その中にある「平和記念資料館」と「原爆ドーム」についてご紹介します。原爆ドームは、平和資料記念館を見学してから行った方がおすすめですよ。
①平和記念資料館
資料館には、原爆によって亡くなられた方々の遺品などが数多く展示されており、犠牲者一人一人のこと、被曝によって数年後に後遺症で亡くなられた方、残された遺族の思い、原爆で亡くなったと思われる子どもたちの持ち物などが展示されています。
ゆっくりと時間をかけて、犠牲者の遺品と写真を一つ一つ読んでいくと、ずっしりとのしかかるものがあります。
写真の顔はみんな笑顔だったり、子どもならではの可愛らしさのある今の子どもと変わらない写真。
その横にある焼け焦げた服、弁当箱、三輪車・・・荒廃した街。
その写真の街が、今朝、広島駅からこの場所へきた風景の80年弱前の風景なのかと思うと、何かしら熱いものが込み上げてきます。
資料館を出る頃には、色々思うことがあり心は沈んでいるかもしれません。
写真の子供たちの笑顔、あどけない顔、そして大人たちも笑っている顔、写真は白黒ですが、いつの時代になっても笑顔は変わらない、その笑顔が地獄のような惨劇に見舞われたという事実を考えると心が沈んでしまうのは当然なのかもしれません。
②原爆ドーム
負の世界遺産の一つでもある原爆ドーム。負の世界遺産とは、人類が犯した過ちを2度と犯さないよう記憶にとどめるため、教訓にするための遺産といわれています。
協会が明確なカテゴリーとして明示しているわけではありませんが、二度と犯してはいけないという人類へのメッセージになる遺産で、ドイツのアウシュビッツ収容所もその一つです。
原爆ドームは、原爆が投下される前、「広島産業奨励館」という名前で展示会や博覧会、広島物産展など、様々なイベントが催される煉瓦(レンガ)造りの洋風の建物でした。
実際に行ってみると、川の近くにあり、周りは草原に囲まれた廃墟です。
平和記念資料館を見学した後に原爆ドームに行くと、原爆の悲惨さをより感じるでしょう。
また行くなら真夏の暑い日がお薦めします。原爆が落とされた8月6日と同じ暑い日に行くと、その悲惨さをより深く感じることができるからです。
原爆ドームの廃墟と化した壁をみると、あの写真の笑顔の子供たちの顔が思い浮かび、そして焼けた三輪車、衣服、弁当箱・・・本当に熱くて痛くて辛くて亡くなったんだと我が身のようになり、亡くなられた方の無念な思いが頭をよぎります。
ドームの横には、被曝された方が水を求めてやってきた元安川と動員学徒慰霊塔があります。
労働不足により動員されて戦禍に巻き込まれ亡くなった学徒と原爆によって亡くなられた学徒の霊を慰めるために建立された塔です。
③その他
平和公園には、平和記念資料館や原爆ドームの他にも平和について考えさせられるスポットがたくさんあります。
平和の鐘
全世界に核と戦争のない、平和な世界を目指す思いを込めて建立されました。
鐘には、国境のない世界地図が描かれていて、いわゆるボーダレスワールド・・・ジョンレノンのイマジンです。
平和の灯火
水を求めてやまなかった犠牲者の魂を慰めるために建立され、台座は水を求め続けた犠牲者の手のひらをあらわしています。
その灯火は、1964年8月1日に点火されてからずっと燃え続けていて、核兵器が世界から消えるまで燃え続けるという平和の象徴になっています。
原爆の子の像(千羽鶴の塔)
像の碑文には「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれており、原爆で亡くなった子供たちの霊を慰めるために建立された像です。世界中から千羽鶴が届けられます。
原爆死没者慰霊碑
原爆犠牲者の慰霊碑、特殊な形をしていますが、この形には犠牲者の霊を雨から守りたいという気持ちが込められており、碑文には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。
まとめ
原爆ドームや、その他スポットを訪問するにしても、先に平和記念資料館へ行ってから行くことをおすすめします。資料館で学びを得てからスポットへ行けば、スポットで感じることが変わってくるからです。
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